【特集】若くして世を去った天才「山中貞雄」が遺した奇跡の映画3本!
どうも、こんにちわ、イスカです。
今日のテーマは「夭折の天才・山中貞雄」!
日本の映画作家として、世界に羽ばたくビッグネームといえば、オズ・クロサワ・ミゾグチ(今だとミヤザキやキタノか)がパッと思い浮かぶ辺りでしょう。
しかし彼らに比肩する(あるいは凌駕する)天才が、かつて日本にいたことを知る人は少ないかもしれません。
その名前は、ヤマナカ・サダオ。
ヌッと突き出た長いアゴが印象的な青年でした。
彼はわずか5年の間に26本もの監督作品を手がけていますが、現在ちゃんと観られるのは、たったの3本。
しかしそのすべてが日本映画史に、いや世界映画史にきら星のごとく輝く伝説の傑作となっているのです。
その一:『丹下左膳余話 百萬両の壺』(1935)
こちらは1935年の作品で、僕のオールタイムベスト10のうちの一本に入れたいほど、大好きな作品です。
お話を一言でまとめてしまうと、お宝争奪戦です!
百万両のありかを記した宝の地図を塗り込んだ「こけ猿の壺」、これを最後に手にするのは誰かという物語。
しかし壺はどうみてもガラクタにしか見えないので、殿様の手からどんどん下に下っていき、チョビ安という少年の手にわたる。
みなしごのチョビ安を引き取るのが、矢場の女将さんである「お藤」と、そこの用心棒兼ヒモである「丹下左膳」の二人。
もう僕はこの二人があらゆる映画キャラの中で最も好きで、ベストカップルだとも思っております。
女将さんに頼まれごとをされても「やだよ!おめえがやれよ!」と常に悪態をつきますが、カットが変わると大人しく言うことを聞いてるんですね(笑)。
それでいて誰よりも剣の腕が立ち、ワルどもを一刀両断に叩きのめすカッコよさ!
僕は丹下左膳に会いたいがために、ことあるごとに本作を見返してます。
その二:『河内山宗俊』(1936)
こちらは1936年の作品で、少年ジャンプのような男の友情が胸アツな映画です。
情婦のヒモである河内山宗俊と、ショバ代を取り立てるヤクザの市之丞の二人の男が主役。
物語は、このロクデナシの男たちが純粋無垢な少女を救うために、命をかけた戦いに身を投じるというもの。
その少女を演じたのが、デビューしたばかりの原節子(当時15〜6歳)です。
河内山は最後の決戦を前に、「覚悟はできてるだろうな?」と聞き、
それに対し、市之丞は「あぁ、今までムダ飯を食ってきたが、これでようやく人間になれる」というように答えるのです。
これは男なら萌えるセリフですよね。
また本作は、映画史上最もうつくしい「雪降り」のシーンがあることでも有名。
やわらかく、ゆったりと降り落ちる牡丹雪の光景は必見です。
その三:『人情紙風船』(1937)
そして山中の遺作となってしまったのが、1937年の『人情紙風船』です。
本作は貧乏長屋で巻き起こる悲喜劇を華麗かつ繊細に撮り上げた群像劇。
先の2作に見られるような明朗快活なヒロイズムは影を潜め、長屋で首くくりが出たり、落ちぶれた侍がリンチされたりと、暗いシーンが目立ちます。
しかし、そこは天才・山中貞雄。巧みな演出で、嫌な陰惨さは感じさせません。
むしろ、うつくしい雨降りや川を流れる紙風船のシーンを織り交ぜ、観るものの心にすっと染み入るような名画になっています。
実際に、本作は「時代劇映画の最高傑作のひとつ」と謳われているほどです。
天才の最期
当時、映画監督として全盛期に入っていた山中ですが、そのすぐ背後に死の影が忍び寄っていました。
『人情紙風船』の封切り日、撮影所の食堂前の芝生で仲間と談笑していたところ、山中宛に一本の電報が入ります。
召集令の知らせでした。
その後、彼は「人情紙風船が山中貞雄の遺作ではチトサビシイ」との一言を残して、戦地に去っています。
そして1938年9月17日、戦地の中国で病に倒れ、28歳と10カ月という短い人生に幕を下ろしました。
「もし山中貞雄が生きていたら…」というような話は、個人的にはあまりしたくありません。
彼がどんな未来を選んだかはわかりませんし。もしかしたら、急に調子を落としたかもしれませんしね。
しかし、彼が確かに残した二十数本の作品群が消失してしまっていることは、残念で仕方ありません。
どこかの田舎の蔵の中にプリントが残ってる可能性もあるそうですが、わずかなフィルムの断片を除くと、まだ見つかっていません。
ただ今は、彼が遺してくれた奇跡のような3本の傑作を観られることに感謝したいです。
おまけ
山中貞雄の生涯については、こちらの本『映画監督 山中貞雄』を参考にしました。
ちなみに著者の「加藤 泰」は山中の実の甥っ子であり、ご本人も名監督して活躍しましたね。
長々と最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
抱腹絶倒の映画談義!気づいたら手に取る愛読書『映画千夜一夜』
どうも、こんにちわ、イスカです。
今日は僕の愛読書である『映画千夜一夜』について語ります。
こちらの写真は上下巻に分かれた文庫本バージョンのジャケットですが、僕が持っているのは一冊にまとまった単行本の方です。
写真は同じリリアン・ギッシュで、全体がブルーの表紙なのですが、これが実にデカい。
全部で約800ページあって、手に持った感じは完全に国語辞典。外へ持ち歩くにはまったく向いてませんね。
しかし僕はこの一冊にまとまった分厚い感じが、なにか魔導書を開いているみたいで好きなんです。
映画評論家の3巨頭が語り合う座談会!
さて、この本は日本が誇る3人の映画評論家:淀川長治さん、蓮實重彦さん、山田宏一さんが語り合う座談会のかたちで進められます。
全部で12回あって、各テーマはたとえば、こんな感じ
・映画はすべて「恋愛映画」である
・幽霊か悪魔かー恐怖の怪談映画ばなし
・魅惑のスター、銀幕の美女の話はつきないけれど…
などです。
驚くべきは、お三方の映画的記憶の果てしない深淵さと、固有名詞が出てくるスピードの恐るべき速さ。
淀川さんは映画誕生の初期から膨大な数の作品をごらんになっているわけですが、年齢にして約30コも下の蓮實さんと山田さんも、淀川さんの映画知識にビッタリついて行き、自分が観ていない映画の端の端の役者名までパパッと出てくる。
心の底から本気で映画を愛していないと、絶対にここまで覚えられないですね。
まさに”映画の生き字引、歩く映画アーカイヴ、生きる映写機”です。
あの蓮實さんと山田さんを手のひらで転がす淀川さん
蓮實さん・山田さんといえば、もう日本の映画評論家ではトップに君臨する方々ですが、さすがは淀川さん。
そんなお二方を冗談めかして、子ども扱いしてしまうのです。
たとえば、ウィリアム・ワイラー監督の『孔雀夫人』の話題で…
淀川「『孔雀夫人』はごらんになった?」
蓮實「いえ、観てないんです。」
山田「その辺が一番弱いところです。」
淀川「えッ!お二人とも観ていないんですか!こりゃ、お二人にきつい注射をいたしますよ(笑)。」
なんていうシーン。
時代的に蓮實さんと山田さんが『孔雀夫人』(1935)を観ることはそもそも不可能なんです。
しかし淀川さんはそれを知っていながら、あえてイジるわけですね。
いや、ホント最高に笑えます(笑)。
この続きの話も別の箇所で出てきます。
淀川「このあいだ『孔雀夫人』を観てないというんでお二人をいじめたから、もうあんまり言えないな(笑)。
蓮實・山田「アハハハハ。」
淀川「あれはよかったねえ。長生きしてよかったなあ(笑)。
そりゃあそうだわな、考えたら気の毒だよ。あんたがたは観られないんだもの、年からいっても無理だよな。
それをぼくは、お二人がどっちも観てないので、上から見下ろしたの(笑)。
あれだけは、ぼく、長生きしたと思ったな。」
淀川さん、茶目っ気たっぷりで、可愛らしいですね。
抱腹絶倒の「デボラ・カー論争」!
しかし蓮實さんと山田さんが結託して、淀川さんに反旗を翻す最高のシーンもあります。
それが「デボラ・カーは美女か馬鹿か」論争です。
蓮實「デボラ・カーって、どうしてあんな馬鹿みたいな顔してんでしょうね。」
山田「馬鹿みたいな顔?(笑)」
蓮實「すごく頭悪そうな顔してると思うんだなあ(笑)。」
淀川「こんなこと生まれて初めて聞いた、ぼくは綺麗だと思うね。なんでそんな馬鹿なんていうの。
あの人に反感があるのね、この人(笑)。何が気に入らないの?」
蓮實「いや、すごく頭の悪そうな顔、頭が悪いんじゃないかっていう顔してる(笑)。」
この蓮實さんの物言いに、デボラ・カーが好きだったはずの山田さんも次第にノリはじめるんです(笑)
山田「でも、なるほど、デボラ・カーってのは『地上より永遠に』なんかでバート・ランカスターみたいな男についよろめいちゃうなんていうのはちょっと馬鹿みたいですね。」
淀川「いいじゃないの。この人ダメ、女のことになるともうすぐあっち向いたり、こっち向いたりする(笑)。あれはストーリーですよ、デボラの責任じゃありませんよ!(笑)」
山田「だけどバート・ランカスターっていうのが、引っかかったんですよ。」
淀川「バート・ランカスターみたいなのを食いものにしたかったのよ。」
山田「やっぱり知性がなくて馬鹿だから、あんな男にだまされやすい。」
蓮實「アッハハハハ。」
(中略)
淀川「もうこういう卑怯な人とはもの言わない(笑)。」
なんていう最高のやりとりがあるんですね。
(実際のデボラ・カーの写真はこちら。みなさんにはどう見えますか?)
だいぶ長くなりましたが、こんな感じで他にも映画ファンならヨダレものの話題がギュギュッと詰め込まれています。
僕にとって『映画千夜一夜』はことあるごとに読み返す、最高の愛読書ですね。
(※ちなみに出版記念として、3人の座談会のちょっとした続編が『淀川長治 カムバック、映画の語り部』に掲載されています)
映画駄話:『スピード』は『駅馬車』の孫なんだろうか?
どうも、こんにちわ、イスカです。
今日はちょっと趣向を変えまして、ゆる〜く映画駄話をしようと思います。
昨日久しぶりにキアヌ・リーブス主演の『スピード』(1994)を観まして、やっぱし何度観ても面白いんですね。
実は『スピード』とは同い年なので、色々と思うところがあります。
初めての出会いは確か、6〜7才のときに見た金曜ロードショーでした。
あの頃はまだ「映画」という存在もよくわかっておらず、ただただ「トイ・ストーリーが面白い」とか「ホーム・アローンが最高!」というように、それぞれの作品が単体で好きなだけでした。
別にそれらが「映画だ」という認識もなかったです。
しかしTVで『スピード』を観たときに初めて「これが映画か… 」と意識するようになりました。
ここから僕の映画好きもギアを上げて加速していくことになります。
それで昨日『スピード』を観ていたときに「あれ、駅馬車に似てないか?」とふと思ったのです。
『駅馬車』(1939)は巨匠ジョン・フォードの監督による、泣く子も黙る映画史上の傑作として記憶されていますね。
それで『スピード』と『駅馬車』には、物語のつくりに共通点があるなと気づきました。
片やバス、片や馬車、目的は違いますが、両作品とも途中で主人公(キアヌ・リーブスとジョン・ウェイン)が乗り物に同乗してきますね。
そして両作品ともド派手で痛快なクライマックスを迎え、バス/馬車から降りた後、ここで終わりではなく、もう一段階のクライマックスが待ち受けているわけです。
あんまりオチを云々するのは適当でないかもしれませんが、両者とも二段構えのクライマックスをクリアした後に、ヒーローとヒロインが結ばれるのでした。
まあ気づいてみれば、わかりやすく似ているので、こんなことはとうの昔に誰かが言ってしまっているかもしれません。
ですが自宅で一人これに気づいたときは、多少なりともドキッとしまして、「あぁ、アメリカ映画にはこうして血脈が受け継がれてるんだなぁ〜」と思ったわけです。
『駅馬車』が1939年生まれ、『スピード』が1994年生まれなので、親子というよりは祖父と孫のような関係かもしれませんね。
ギャンブラーたちの一発逆転劇!『テキサスの五人の仲間』
どうも、こんにちわ、イスカです。
今日の映画は『テキサスの五人の仲間』
『テキサスの五人の仲間』(原題:A Big Hand for the Little Lady)
公開年:1966年
製作国:アメリカ
監督:フィールダー・クック
上映時間:95分
西部劇と聞いて、僕がパッと思いつくのは
・ガンマンがドンパチやるか(『ワイルドバンチ』)
・千頭万頭の牛を大移動させるか(『赤い河』)
・はたまた新天地を目指して馬車で移住するか(『幌馬車』)
といった内容のものばかり。
しかし本作はそのどれにも当てはまらない「ギャンブラーたちの一発逆転」を描いた西部劇です。
物語は、町の大富豪である5人の男が宿場に集まるところから始まる。
彼らは一年に一度、大金を持ち寄り、宿場の奥の薄暗い部屋で、夜通しポーカー大会に興じていた。
宿場の客たちは「今だれが勝ってんだ?」「ちょっとくらい覗かせろよ」と勝負のゆくえが気になる様子。
そこにふらりと現れたのは、ヘンリー・フォンダ演じる入植者の男とその妻、そして小さな息子の3人家族。
彼らはテキサスに移住する道中に、たまたま宿場を訪れたのだ。
どうやら男はかつてギャンブル中毒者だったようで、「どうしても勝負が見たい」と言い出すが、奥さんにきつく止められる。
それでも男は奥さんが出かけた隙にギャンブルを見に行き、さらには参加までしてしまう。
そして、これがまたボロックソに負けてしまうのだ。
挙句の果てには、移住のために貯めておいた家族の全財産を奥さんに黙って注ぎ込む始末。
(典型的なギャンブル中毒者の悲惨な姿に、見ているこっちまで頭を抱えてしまいます… )
しかし最後の最後に、一発逆転の好カードが到来!
千載一遇のチャンス…かと思いきや、男は持病の心臓発作で倒れてしまう。
これで本当に万事休す、もう為す術なく、家族は破産の運命を辿るしかないのか…?
ところが、本当の一発逆転劇はここから始まるのです。
はてさて、”テキサスの5人の仲間”とは一体だれのことなのか?
彼らはどんな手で大富豪たちを負かすのか?
愉快痛快なギャンブル西部劇です!
少年時代を想い出す傑作『友だちのうちはどこ?』
どうも、こんにちわ、イスカです。
今日の映画は『友だちのうちはどこ?』
『友だちのうちはどこ?』(英題: Where Is the Friend's Home?)
公開年:1987年
製作国:イラン
監督:アッバス・キアロスタミ
上映時間:85分
これは僕のオールタイムベスト10に入る大切な一本です。
観るたびに、少年時代の感覚がありありと蘇ってきて、胸にきゅっと来るものがあるんですね。
主人公のアハマッドは、村の小さな学校に通う幼い少年。
朝の宿題チェックの時間に、友だちのネマツァデが宿題をノートに書いてこなかったことで、先生にひどく叱られます。
挙げ句の果ては「次ノートに書いてこなかったら知らないぞ」と脅される始末。
本作の凄いところは、子役が演技をしている感じが一切しないことです。
まるで教室のどこかにカメラを仕込んで、隠し撮りしているようなリアルさで、子どもたちの反応はとても演技とは思えません。
宿題を忘れたことを言い出せないまま、先生のチェックが近づいてくるときのあの不安な表情。
あれを見るだけで、「あぁ、僕も何度も経験したな… 」と幼い頃の苦い記憶が蘇ってくるのです。
そうしてアハマッドは家に帰って宿題をしようとすると、ネマツァデのノートまで持って帰ってしまったことに気づきます。
(僕のせいで、またネマツァデが怒られる… )
そう表情で語ったアハマッドはノートを持って家を飛び出し、ネマツァデの家へと一散に駆けていくのです。
ところが、ネマツァデの家がどこかわからない。
近所の人に聞いてまわるものの、アハマッドの内情がわからないものだから、まあ適当なものです。
何度も違う道を行ったり、同じ名前の子の違う家を教えられたりと、時間だけがどんどん過ぎていきます。
ついには陽も落ちてしまい、辺りは真っ暗に…
最後の望みで「ネマツァデの家を知ってる」という老人に出会ったはいいものの、これがカタツムリのように歩くのが遅い。
アハマッドの中では焦りばかりが募ってくる。
さて、アハマッドは無事にノートを届けられるのか?
大人になった今の自分からすれば、宿題を忘れようが、先生に叱られようが、どうってことありません。
むしろ、あとあとの話のネタになるので、「もっと叱られとけばよかったな」と思ってるくらいです。
しかし、あの頃は確かに、宿題を忘れることは一大事件であり、先生に怒られることは本当に世界がガラリと崩れてしまうような終末感を覚えるものでした。
だからこそ、アハマッドが取った最後の行動に、僕は拍手喝采を送らずにはいられないのです。
「アハマッド、君こそ真のヒーローだ!」
オープニングの痺れるカッコよさ!『キッスで殺せ』
どうも、こんにちわ、イスカです。
今日の映画は『キッスで殺せ』
『キッスで殺せ』(原題:Kiss Me Deadly)
公開年:1955年
製作国:アメリカ
監督:ロバート・アルドリッチ
上映時間:106分
”キッスで殺せ”、これもタイトルがすごく良いですね。
本作を初めて観たときは、とにかくオープニングのカッコよさに痺れました。
夜の車道をひた走る裸足の女。
行き交う車を必死で止めようとするが見向きもされない。
正面から迫る2つ目のヘッドライト。
女は意を決し、両手を挙げて道路の真ん中に立ち尽くす。
急ハンドルを切り、唸りをあげて止まる一台の車。
そこに乗りたるは、私立探偵マイク・ハマー
「車を壊す気か… 乗れよ」と一言。黙って車に乗る女。
エンジンをかけ直す側で、カーラジオから女性DJの声が語りかける。
「それではNat King Coleの最新レコードから… Rather Have The Blues… 」
メロウで甘いコールの歌声と、2人に忍び寄る暗い運命を予感させるようなメロディーが響き始める。
カメラは後部座席から男女の頭を捉えたまま、画面の上から、クレジットのロールがゆっくりと流れ落ちてくる。
そうして映し出される”Kiss Me Deadly”のタイトル…
もう、初めてこのオープニングを観たときは「渋い、カッコいい〜」と一人で唸っていました。
今でも時々、このオープニングだけを観ることがあります。
とはいえ、もちろん、この先の本編もモノクロのシックな画面とスタイリッシュな演出で、震えるほど面白い展開が続いていきます。
女が「リメンバー・ミー(私を覚えていて…)」と言い残した直後、2人は謎の集団に襲撃される。
ハマーは一人、病室で目覚めた後、女の秘密と事件の真相を追っていくことになるのですが…
まさにフィルム・ノワールの傑作として、今後も長く語り継がれていく一本でしょう。
タイトルが好きすぎる映画『いちごブロンド』
どうも、こんにちわ、イスカです。
今日の映画は『いちごブロンド』
『いちごブロンド』(原題:The Strawberry Blonde)
公開年:1941年
製作国:アメリカ
監督:ラオール・ウォルシュ
上映時間:98分
いちごブロンド、いちごブロンド、いちごブロンド…
いやぁ〜、本当に愛嬌があって素敵なタイトルですね。
何か口の中でアメ玉を転がしているような楽しさがあって、何度でも呟きたくなります。
原題も「ストロベリー・ブロンド」なので、意味は一緒ですが、日本語の「いちご」と「ブロンド」の組み合わせがいいんですね。…いちごブロンド
さて、「いちごブロンド」とは何なのか?
これはジェームズ・キャグニー演じる歯医者の男が10年前から想いを寄せている街一番の美女の愛称です。
その美女を演じるのはリタ・ヘイワース。
リタ・ヘイワースといえば、『ショーシャンクの空に』で主人公のアンディが監房の壁に貼っていたポスターの美女ですね。
『いちごブロンド』の物語はというと…
ある日曜の休日、歯医者のキャグニー(役名はビフ)の元に「虫歯を抜いてくれ」との電話が入る。
「今日は休みだから」と頑として断ろうとするが、なんとその依頼主は10年前の友人で、今はいちごブロンドの夫となっている男だった…
というもの。
そこからキャグニーは10年前のいちごブロンドと出会った日々を追想することに…
その中で、ある日、この友人の男がいちごブロンドとダブルデートをするためにキャグニーを誘うのですが、それが思わぬ出会いを呼ぶことになるのです。
レンガ作りの歩道、夜道にともる街灯、立ち並ぶ家々など、セットが本当に贅沢で美しいクラシックな映画ですね。
みなさんはどんな映画のタイトルがお好きでしょうか?